「情けは人の為ならず」の本当の意味と誤用&例文で使い方を解説

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「情けは人の為ならず」

この言葉は、簡単に言えば『人に情けをかけろ(親切にしろ)』という意味です。

しかし、実際には『人に情けをかけてはいけない』という間違った意味で捉えられがちです。

今回はこのことわざについてしっかり解説していきます。

「情けは人の為ならず」の概要

  • 本来の意味: 情けを人にかけて親切にすれば、巡り巡って自分に返ってくる
    • 例文:「色んな人に勉強を教えていたらより理解が深まって成績が伸びたんだ。“情けは人の為ならず”っていうのはこういうことだったんだね」
  • 誤用:人に情けをかけるのはその人のためにならないから辞めるべきである
    • 例文:「彼はお金の重みを知るべきだから、簡単にお金を貸してはいけない。まさに“情けは人の為ならず”だ」
  • 文法解説:本来は「為なり」という断定の否定「為ならず」という意味だが、「為になる」の否定「為にならず」を省略したものだと捉えられている
  • 英語: One good turn deserves another.(ひとつの善行で別の善行が返ってくる)
  • 類語:思えば思わるる
  • 対義:情けが仇

文法解説

言葉の語感から何となく誤用の理由も分かるかと思います。

「人の為ならず」⇒「人の為にならず」⇒「人の為にならない」

無意識にこのように変換して、
「人の為になる」を否定しているように思われがちです。

『アイデアはお金になる』というような「〇〇は〇〇になる」という動詞の活用形という捉え方ですね。

しかし、ここの「ならず」というのは「〇〇は〇〇になる」という意味ではなく、
「〇〇なり」という断定の意味だったのです。

『アイデアはお金なり』というように「〇〇=〇〇」という意味ですね。

『情けは人の為なり=情けをかけるのは人の為である』これを否定し、
『情けは人のためならず=情けは人の為ではない』となると考えると本来の意味も理解できるのではないでしょうか。

「情けは人の為ならず」の誤用は許容されにくい

日本語は認知度に応じて言葉の意味や使い方が変わるものです。

現在、“確信犯”、“姑息”、“敷居が高い”などの言葉は、
本来の意味とは明らかに違う意味で使われていますが、
許容されてきていますし、誤用とされる方も辞書に載っています。

誤用と知っていても、汎用性の高い便利な場合があるので、
あえて誤用の意味で使う場合も多々あるかと思います。

このように、本来の意味とは違っていても、
それが正しい日本語として許容されることがあるのです。

「情けは人の為ならず」の場合、国民の50%近くが誤用しているのですが、
この誤用は許容されるものなのでしょうか?

これに関しては、他の言葉に比べて許容されにくい言葉であると言えるでしょう。

なぜなら、許容される誤用というのは、
本来の意味よりも汎用性が高く代替できる言葉が少ない場合が多いのに対し、
「情けは人の為ならず」の場合は便利な言葉でも変わりとなる言葉がないわけでもないのです。

また、誤用の理由というのが文法の間違いですし、
本来の意味と正反対の意味になるというのも大きいですね。

なので、誤用の意味で使っていると、
“本来の意味を知らない”と思われてしまうかもしれません。

あえて誤用の意味で使うという場面も想像しにくいですし、
これに関しては正しい使い方をするのをおすすめします。